216
最明寺入道、鶴岡の社參の序(ついで)に、足利左馬入道〔足利義氏、義兼の子〕の許へ、まづ使を遣して、立ちいられたりけるに、あるじまうけられたりけるやう〔饗應設備の樣〕、一獻に打鮑〔鮑肉を打ちのべたもの〕、二獻にえび、三獻にかい餅(もちひ)〔今の萩の餅〕にて止みぬ。その座には、亭主(ていす)夫婦、隆辨僧正〔鶴ヶ岡八幡の別當〕、あるじ方〔主人側〕の人にて坐せられけり。さて、「年ごとに賜はる足利の染物心もとなく〔不安心、貰へるか心配〕候。」と申されければ、「用意し候。」とて、いろいろの染物三十、前にて、女房どもに小袖に調ぜさせ〔仕立てさせ〕て、後につかはされけり。その時見たる人のちかくまで侍りしが、かたり侍りしなり。
217
ある大福長者の曰く、「人は萬をさしおきて、一向(ひたぶる)に徳をつく〔富を身につける〕べきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかむとおもはば、すべからくまづその心づかひを修行すべし。その心といふは他の事にあらず。人間常住の思ひに住して、假にも無常を觀ずる事なかれ。これ第一の用心なり。次に萬事の用をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲に從ひて志を遂げむと思はば、百萬の錢ありといふとも、しばらくも住すべからず。所願は止むときなし。財は盡くる期(ご)あり。かぎりある財をもちてかぎりなき願ひに從ふこと、得べからず。所願心に兆すことあらば、われを亡すべき惡念きたれりと、かたく愼みおそれて、小用〔一寸した用〕をもなすべからず。次に、錢を奴〔下僕〕の如くしてつかひ用ゐるものと知らば、長く貧苦を免るべからず。君の如く神のごとくおそれ尊みて、從へ用ゐることなかれ。次に恥にのぞむといふとも、怒り怨むる事なかれ。次に正直にして、約をかたくすべし。この義を守りて利をもとめむ人は、富の來ること、火の乾けるに就き、水の下れるに從ふ〔非常に容易に出來る比喩、易に「水流レ濕、火就レ燥。」〕が如くなるべし。錢つもりて盡きざるときは、宴飮聲色〔酒宴と音樂と性欲〕を事とせず、居所をかざらず、所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く樂し。」と申しき。そも〳〵人は所願を成ぜむがために財をもとむ。錢を財とする事は、願ひをかなふるが故なり。所願あれどもかなへず、錢あれども用ゐざらむは、全く貧者とおなじ。何をか樂しびとせむ。このおきてはたゞ人間の望みを絶ちて、貧を憂ふべからずと聞えたり。欲をなして樂しびとせむよりは、しかじ財なからむには。癰疽(ようそ)〔共に腫物の名稱、發熱烈しく危險な腫物〕を病む者、水に洗ひて樂しびとせむよりは、病まざらむには如かじ。こゝに至りては、貧富分くところなし。究竟(くきゃう)〔天台に六階級あつて凡夫が成佛するまでを分つてある、究竟はその最高。〕は理即〔同上の最低階級、單に佛性のみ具備して開覺されないもの〕にひとし。大欲は無欲に似たり。
218
狐は人に食ひつく者なり。堀河殿〔太政大臣久我基具の邸〕にて、舍人〔御厩の牛飼〕が寢たる足を、狐にくはる。仁和寺にて、夜、本寺の前を通る下法師〔身分の低い法師〕に、狐三つ飛びかゝりて食ひつきければ、刀を拔きてこれを拒(ふせ)ぐ間、狐二疋を突く。一つはつき殺しぬ。二は遁げぬ。法師はあまた所くはれながら、ことゆゑなかりけり。
219
四條黄門〔中納言四條隆資、黄門は中納言の唐名〕命ぜられて曰く、「龍秋〔樂人豐原龍秋、笙の名手〕は道にとりてはやんごとなき者なり。先日來りて曰く、『短慮の至り〔淺はかな考への至り、謙遜した語〕、極めて荒涼(くゎうりゃう)〔すさまじい無作法〕の事なれども、横笛(わうてき)の五の穴〔横笛には吹口の外七つ穴がある、その笛の端から三つ目の穴、下無調〕は、聊か訝(いぶ)かしき所の侍るかと、ひそかにこれを存ず。そのゆゑは、干(かん)の穴〔同じく二つ目の穴、平調〕は平調(ひゃうでう)、五の穴は下無調(しもむでう)なり。その間に勝絶調(しょうぜつでう)〔(*以下)皆七つの笛穴より出づ(*る)音律の中間の音である。〕をへだてたり。上(じゃう)の穴〔雙調とも云ふ。〕雙調(さうでう)、次に鳧鐘調(ふしょうでう)をおきて、夕(さく)の穴黄鐘調(わうじきでう)なり。その次に鸞鏡調(らんけいでう)をおきて、中の穴盤渉調(ばんじきでう)、中と六との間(あはひ)に神仙調あり。かやうに間々にみな一律をぬすめるに、五の穴のみ上の間に調子をもたずして、しかも間をくばる事ひとしきゆゑに、その聲不快なり。さればこの穴を吹くときは、かならずのく。のけあへぬときは物にあはず。吹き得る人難し。』と申しき。料簡(れうけん)のいたり、まことに興あり。先達後生を恐るといふ事、この事なり。」と侍りき。他日に景茂(かげもち)〔大神景茂〕が申し侍りしは、「笙は調べおほせてもちたれば、たゞ吹くばかりなり。笛はふきながら、息のうちにて、かつ調べもてゆく物なれば、穴ごとに口傳の上に、性骨(せいこつ)〔天性得た骨〕を加へて心を入るゝ事、五の穴のみにかぎらず。偏にのくとばかりも定むべからず。あしく吹けば、いづれの穴も快からず。上手はいづれをも吹きあはす。呂律〔調子〕のものにかなはざるは、人の咎なり、器(うつはもの)の失にあらず。」と申しき。
220
「何事も、邊土は卑しく頑(かたくな)なれども、天王寺(てんわうじ)〔大阪に存する四天王寺〕の舞樂のみ、都に恥ぢず。」といへば、天王寺の伶人〔樂人〕の申し侍りしは、「當寺の樂は、よく圖をしらべ合せて、物の音のめでたく整ほり侍ること、外よりも勝れたり。ゆゑは太子〔聖徳太子、即ち四天王寺の創建者〕の御時の圖、今にはべる博士(はかせ)〔節博士、音譜を云ふ〕とす。いはゆる六時堂〔晨朝、日中、日沒、初夜、中夜、後夜の六時に勤をする堂〕の前の鐘なり。そのこゑ黄鐘調の最中(もなか)〔黄鐘調は音調の名、そのまんなか〕なり。寒暑に從ひて上(あが)り下(さが)りあるべきゆゑに、二月(きさらぎ)涅槃會(ねはんゑ)より聖靈會(しゃうりゃうゑ)〔二月二十二日聖徳太子の忌日〕までの中間を指南とす。秘藏(ひざう)のことなり。この一調子をもちて、いづれの聲をもとゝのへ侍るなり。」と申しき。およそ鐘のこゑは黄鐘調なるべし。これ無常の調子、祇園精舍の無常院〔印度舍衞國の寺院、その西北隅にある無常院と云ふ寺〕の聲なり。西園寺〔山城衣笠岡の西北、西園寺公經の建立した寺〕の鐘、黄鐘調に鑄らるべしとて、あまたたび鑄替へられけれども、かなはざりけるを、遠國(をんごく)よりたづね出されけり。法金剛院〔山城葛野郡太秦にある寺〕の鐘の聲、また黄鐘調なり。



