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醫師あつしげ、故法皇〔花山院〕の御前に候ひて、供御の參りけるに、「今參り侍る供御のいろ〳〵を、文字も功能(くのう)も尋ね下されて、そらに申しはべらば、本草〔支那の古い植物學の書〕に御覽じあはせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ。」と申しける時しも、六條故内府(だいふ)〔内大臣源有房〕まゐり給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らむ。」とて、「まづ、しほといふ文字は、いづれの偏にか侍らむ。」と問はれたりけるに、「土偏(どへん)に候〔鹽の俗字塩(*原文頭注「鹽」)で答へたのだ〕。」と申したりければ、「才のほど既に現はれにたり。今はさばかりにて候へ、ゆかしきところなし。」と申されけるに、とよみになりて、罷り出でにけり。
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花は盛りに、月は隈なき〔曇なき〕をのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ〔和漢朗詠集の「對レ月戀レ雨序」の心を採つた〕、たれこめて春のゆくへ知らぬ〔「たれこめて春のゆくへも知らぬ間に待ちし櫻もうつろひにけり」(古今集)の意〕も、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌の詞書〔歌の題としてやゝ長き文章となり居るもの、はし書〕にも、「花見に罷りけるにはやく散り過ぎにければ。」とも、「さはることありて罷らで。」なども書けるは、「花を見て。」といへるに劣れる事かは。花の散り月の傾(かたぶ)くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし。」などはいふめる。萬の事も始め終りこそをかしけれ。男女(をとこをみな)の情(なさけ)も、偏に逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さをおもひ、あだなる契り〔はかない契り〕をかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居〔遠い所、遠く離れた戀人〕を思ひやり、淺茅が宿〔荒れはてたる宿〕に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。望月の隈なきを、千里(ちさと)の外まで眺めたるよりも、曉近くなりて待ちいでたるが、いと心ふかう、青みたる樣にて〔明け方のほの青いやうな月〕、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴〔椎の木の茂り〕白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしう覺ゆれ。すべて月花をばさのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしうをかしけれ。よき人は、偏にすける樣にも見えず、興ずる樣もなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃く〔しつこく、あくどく〕よろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより〔ねぢり寄り、強ひて近寄る〕立ちより、あからめもせず〔わき目もせず〕まもり〔注目する〕て、酒飮み、連歌して、はては大きなる枝心なく折り取りぬ。泉には手足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、萬の物、よそながら見る事なし。さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。「見ごと〔見る物、見る目的物〕いとおそし。そのほどは棧敷不用なり。」とて、奧なる屋にて、酒飮みもの食ひ、圍棊雙六(すぐろく)など遊びて、棧敷には人をおきたれば、「わたり候。」といふときに、おの〳〵肝つぶる(*る)やうに爭ひ走りあがりて、落ちぬべきまで、簾張りいでて、押しあひつゝ、一事(こと)も見洩らさじとまもりて、とありかゝりと〔何のかのと〕物事にいひて、渡り過ぎぬれば、「又渡らむまで。」といひて降りぬ。唯物をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、眠りていとも見ず。若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後(うしろ)にさぶらふは、さまあしくも及びかゝらず〔及び腰になり、後から前の人にのりかゝらず〕、わりなく〔無理に〕見むとする人もなし。何となく葵(あふひ)かけ渡して〔賀茂の祭には葵の葉を簾、柱、或は衣服にまでかけた〕なまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、其か彼かなどおもひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくも、きら〳〵しく〔華美で輝くさま〕も、さま〴〵に行きかふ、見るもつれ〴〵ならず。暮るゝ程には、立て竝べつる車ども、所なく竝みゐつる人も、いづかたへか行きつらむ、程なく稀になりて、車どものらうがはしさ〔亂りがはしさ、亂雜〕も濟みぬれば、簾疊も取り拂ひ、目の前に寂しげになり行くこそ、世のためしも思ひ知られて哀れなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ、かの棧敷の前をこゝら〔澤山〕行きかふ人の、見知れるが數多あるにて知りぬ、世の人數(ひとかず)もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなむ後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、程なく待ちつけぬべし〔待つて居て出遭ふ事が出來る、死を意味する〕。大きなる器(うつはもの)に水を入れて、細き孔をあけたらむに、滴る事少しと云ふとも、怠る間なく漏りゆかば、やがて盡きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日(ひ)に一人二人のみならむや。鳥部野、舟岡〔上京蓮臺寺の東の岡、鳥部野と共に墓地〕、さらぬ野山にも、送る數おほかる日はあれど、送らぬ日はなし。されば柩を鬻ぐもの、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期(しご)なり。今日まで遁れ來にけるは、ありがたき不思議なり。暫しも世をのどかに思ひなむや。まゝ子立〔黒白の石を長方形に竝べ、印ししたる石から十に當る石をとり除くと最後に唯一つ殘る遊戲〕といふものを、雙六の石にてつくりて、立て竝べたる程は、取られむ事いづれの石とも知らねども、數へ當ててひとつを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、また〳〵かぞふれば、かれこれ間(ま)拔き行くほどに、いづれも、遁れざるに似たり。兵の軍(いくさ)にいづるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ身をも忘る。世をそむける草の庵には、しづかに水石(すゐせき)〔泉水庭石、庭いぢり、盆栽いぢりの意味〕をもてあそびて、これを他所(よそ)に聞くと思へるは、いとはかなし。しづかなる山の奧、無常の敵きほひ來らざらむや。その死に臨めること、軍の陣に進めるにおなじ。
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祭過ぎぬれば、後の葵不用なりとて、ある人の、御簾なるを皆取らせられ侍りしが、色もなく〔趣味もなく〕おぼえ侍りしを、よき人のし給ふことなれば、さるべきにやと思ひしかど、周防の内侍〔平棟仲の女、仲子、白川(*ママ)院の内侍、父が周防守からかく名乘つた〕が、
かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉なりけり〔葵をかけて置くがと心をかけて慕ふがの意。みすは御簾と見ずとをかけた。葵と逢ふ日と、枯葉と離れとをかけたのである。〕
と詠めるも、母屋(もや)〔家の中央の間〕の御簾に葵のかゝりたる枯葉を詠めるよし、家の集に書けり。古き歌の詞書に、「枯れたる葵にさしてつかはしける。」ともはべり。枕草紙にも、「來しかた戀しきもの。かれたる葵。」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひよりたれ。鴨長明〔鴨社の禰宜長繼の子、和歌所寄人、方丈記の著者〕が四季物語にも、「玉だれに後の葵はとまりけり〔「玉だれに後の葵はとまりけり枯れても通へ人の面影」和泉式部の歌〕。」 とぞ書ける。己と枯るゝだにこそあるを、名殘なくいかゞ取り捨つべき。御帳にかゝれる藥玉も、九月九日菊にとりかへらるゝといへば、菖蒲(さうぶ)は菊の折までもあるべきにこそ。枇杷の皇太后宮(くゎうたいこうぐう)〔藤原道長の女研子(*ママ)。三條帝の中宮〕かくれ給ひて後、ふるき御帳の内に、菖蒲藥玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「をりならぬ根をなほぞかけつる〔「あやめ草涙のたまにぬきかへて」が上句、千載集哀傷部に出た〕。」と、辨の乳母のいへる返り事に、「あやめの草はありながら〔「玉ぬきしあやめの草はありながら夜殿は荒れむ物とやは見し」同じく千載集〕。」とも、江(え-ママ)の侍從が詠みしぞかし。
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家にありたき木は、松、櫻。松は五葉もよし。花は一重なるよし。八重櫻は奈良の都にのみありけるを、この頃ぞ世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の櫻、皆一重にてこそあれ。八重櫻は異樣のものなり。いとこちたく〔くどく〕ねぢけたり。植ゑずともありなむ。遲櫻またすさまじ。蟲のつきたるもむつかし。梅は白き、うす紅梅、一重なるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の、匂ひめでたきも、みなをかし。「おそき梅は、櫻に咲きあひて、おぼえ劣り、けおされて、枝に萎みつきたる、心憂し。一重なるがまづ咲きて散りたるは、心疾くをかし。」とて、京極入道中納言〔藤原定家、俊成の子〕は、なほ一重梅をなむ軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南むきに、今も二本(もと)はべるめり。柳またをかし。卯月ばかりの若楓〔楓の若葉〕、すべて萬の花紅葉にも優りてめでたきものなり。橘、桂、何れも木は物古り、大きなる、よし。草は山吹、藤、杜若、撫子。池には蓮(はちす)。秋の草は荻、薄、桔梗(きちかう)、萩、女郎花、藤袴、紫菀(しをに)、吾木香(われもかう)、刈萱、龍膽(りんだう)、菊、黄菊も、蔦、葛、朝顔、いづれもいと高からず、さゝやかなる垣に、しげからぬよし。この外世にまれなるおの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。大かた何も珍しくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうの物なくてありなむ。
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身死して財殘ることは、智者のせざるところなり。よからぬもの蓄へおきたるも拙く、よきものは、心をとめけむとはかなし〔氣の毒〕。こちたく多かる、まして口惜し。我こそ得めなどいふものどもありて、あとに爭ひたる、樣惡(あ)し〔醜い〕。後には誰にと志すものあらば、生けらむ中にぞ讓るべき。朝夕なくて協(かな)はざらむ物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。



