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貧しきものは財をもて禮とし、老いたるものは力をもて禮とす〔曲禮に「貧者不下以2貨財1爲上レ禮、老者不下以2筋力1爲上レ禮。」とあるのを表現をかへたのである〕。おのが分を知りて、及ばざる時は速かにやむを智といふべし。許さざらむは人のあやまりなり。分を知らずして強ひて勵むは、おのれがあやまりなり。貧しくして分を知らざれば盜み、力衰へて分を知らざれば病をうく。
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鳥羽の作り道は、鳥羽殿〔白河上皇の應徳三年建立、所謂鳥羽の里内裏〕建てられて後の號(な)にはあらず、昔よりの名なり。元良親王〔陽成帝第一皇子、三品兵部卿〕、元日の奏賀〔元日辰刻(午前八時)天子大極殿に臨御、羣臣慶賀を奏すること〕の聲はなはだ殊勝にして、大極殿(だいごくでん)より鳥羽の作り道まできこえけるよし、李部王(りほうわう)の記〔醍醐帝の皇子式部卿重明親王の著書、李部は式部卿の唐名〕に侍るとかや。
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夜(よ)の御殿(おとゞ)は東御(み)枕なり。大かた東を枕として陽氣を受くべき故に、孔子も東首(とうしゅ)〔東枕、論語に「疾君視レ之、東首加2朝服1施レ紳。〕し給へり。寢殿のしつらひ、或は南枕、常のことなり。白河院は北首に御寢なりけり。「北は忌むことなり。又伊勢は南なり。太神宮(だいじんぐう)の御方を御(おん)跡にせさせ給ふ事いかゞ。」と人申しけり。たゞし太神宮の遥拜は辰巳に向はせたまふ、南にはあらず。
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高倉院〔山城愛宕郡清閑寺〕の法華堂の三昧僧何某(なにがし)の律師とかやいふ者、ある時鏡を取りて顔をつくづくと見て、我が貌(かたち)の醜くあさましき事を、餘りに心憂く覺えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後長く鏡を恐れて、手にだに取らず、更に人に交はる事なし。御堂の勤め許りにあひて、籠り居たりと聞き傳へしこそ、あり難く覺えしか。かしこげなる人も人の上をのみ計りて、己をば知らざるなり。我を知らずして外を知るといふ理(ことわり)あるべからず。されば、己を知るを、物知れる人といふべし。貌醜けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、藝の拙きをも知らず、身の數ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道の至らざるをも知らず、身の上の非をも知らねば、まして外の譏りを知らず。たゞし貌は鏡に見ゆ、年は數へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべき方のなければ、知らぬに似たりとぞいはまし。貌を改め齡を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞやがて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ閑に身をやすくせざる。行ひ愚かなりと知らば、何ぞこれを思ふ事これにあらざる。すべて人に愛樂(あいげう)〔愛し好かれる〕せられずして衆に交はるは恥なり。貌みにくく心おくれにして出で仕へ、無智にして大才(たいさい)に交はり、不堪(ふかん)の藝〔堪能ならぬ藝〕をもちて堪能の座〔上手な者ばかりの一座〕に連なり、雪の頭(かうべ)を戴きて壯(さか)りなる人〔曲禮に「三十曰レ壯。」〕にならび、況んや及ばざることを望み、叶はぬことを憂へ、來らざる事を待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の與ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、自ら身を恥(はづか)しむるなり。貪ることのやまざるは、命を終ふる大事今こゝに來れりと、たしかに知らざればなり。
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資季大納言入道〔藤原資季、資家の子〕とかや聞えける人、具氏(ともうぢ)宰相中將〔源具氏、通氏の子、宰相は參議の異稱〕に逢ひて(*向かって)、「わぬしの問はれむ程の事、何事なりとも答へ申さざらむや。」といはれければ、具氏、「いかゞ侍らむ。」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ〔爭ひ給へ〕。」といはれて、「はか〴〵しき事〔むづかしい事〕は、片端もまねび知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそゞろごと〔たはい(*ママ)もなき事〕の中に、覺束なき事をこそ問ひ奉らめ。」と申されけり。「まして、こゝもとの淺きことは、何事なりともあきらめ申さむ〔説明しよう〕。」といはれければ、近習の人々、女房なども、「興あるあらがひなり。おなじくは御前にて爭はるべし。負けたらむ人は供御(ぐご)をまうけらるべし。」と定めて、御前にて召し合せられたりけるに、具氏、「幼くより聞きならひ侍れど、その心知らぬこと侍り。馬のきつりやうきつにのをか、なかくぼれいりぐれんどう〔沼波瓊音氏の説に從つて置かう。其の説は「馬退きつ」で此の五字を除き、「りやうきつにのをか」の九字が「中凹れ入り」で最初のりと最後のかを除いて皆陷落しその「りか」が「ぐれんどう」で顛倒する、即ち雁と云ふ答を得る謎である〕と申すことは、いかなる心にかはべらむ。承らむ。」と申されけるに、大納言入道はたとつまりて、「これは、そゞろごとなれば、云ふにも足らず。」といはれけるを、「もとより、深き道は知り侍らず。そゞろ言を尋ね奉らむと、定め申しつ。」と申されければ、大納言入道負けになりて、所課〔課せられたもの、罰金として御馳走〕いかめしくせられたりけるとぞ。



