121
養ひ飼ふものには馬、牛。繋ぎ苦しむるこそ痛ましけれど、なくて叶はぬ物なれば、如何はせむ。犬は守り防ぐつとめ、人にも優りたれば、必ずあるべし。されど家毎にあるものなれば、ことさらに求め飼はずともありなむ。その外の鳥獸(とりけだもの)、すべて用なきものなり。走る獸は檻にこめ、鎖をさされ、飛ぶ鳥は翼を切り、籠(こ)に入れられて、雲を戀ひ野山を思ふ愁へやむ時なし。その思ひ我が身にあたりて忍び難くば、心あらむ人これを樂しまむや。生(しゃう)を苦しめて目を喜ばしむるは、桀紂が心〔夏の桀王、殷の紂王、共に暴虐無道で有名な王〕なり。王子猷〔支那晉代の人、名は徽子、王義之の子〕が鳥を愛せし、林に樂しぶを見て逍遥の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。凡そ珍しき鳥、怪しき獸、國に養はず〔尚書族契篇に「珍禽奇獸不レ育2于國1。」〕とこそ文にも侍るなれ。
122
人の才能は、文明らかにして、聖の教へを知れるを第一とす。次には手かく事、旨とする事〔專門にする事〕はなくとも、これを習ふべし。學問に便りあらむ爲なり。次に醫術を習ふべし。身を養ひ人を助け、忠孝のつとめも、醫にあらずばあるべからず。次に弓射(い)、馬に乘る事、六藝〔支那の教養ある者の修めた六科、禮、樂、射、御、書、數〕に出せり。必ずこれを窺ふべし。文武醫の道、まことに缺けてはあるべからず。これを學ばむをば、いたづらなる人〔無駄な事をする人〕といふべからず。次に、食は人の天なり〔書經に「夫食爲2人天1。」天が人を養ふからだ〕。よく味ひをとゝのへ知れる人、大きなる徳とすべし。次に細工、よろづの要多し。この外の事ども、多能は君子のはづるところなり〔論語に「吾少也賎、故多2能鄙事1。君子多乎不レ多也。」〕。詩歌にたくみに、絲竹に妙なるは、幽玄の道、君臣これを重くすとはいへども、今の世には、これをもちて世を治むること、漸く愚かなるに似たり。金(こがね)はすぐれたれども、鐵(くろがね)の益多きに如かざるがごとし。
123
無益の事をなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事する人ともいふべし。國の爲君の爲に、止む事を得ずしてなすべき事多し。その餘りの暇、いくばくならず思ふべし。人の身に止む事を得ずして營む所、第一に食ひ物、第二に著る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。飢ゑず、寒からず、風雨に冒されずして、しづかに過(すぐ)すを樂しみとす。但し人皆病あり。病に冒されぬれば、その愁へ忍び難し。醫療を忘るべからず。藥を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ缺けざるを富めりとす。この四つの外を求め營むを驕とす。四つの事儉約ならば、誰の人か足らずとせむ。
124
是法法師〔兼好と同時代の僧にして歌人〕は、淨土宗に恥ぢず〔同宗中誰にも遜色なきを云ふ〕と雖も、學匠をたてず〔學者として居ない、學者ぶらない〕、たゞ明暮念佛して、やすらかに世を過すありさま、いとあらまほし。
125
人に後れて、四十九日(なゝなぬか)の佛事に、ある聖を請じ侍りしに、説法いみじくして皆人涙を流しけり。導師かへりて後、聽聞の人ども、「いつよりも殊に今日は尊くおぼえ侍りつる。」と感じあへりし返り事に、ある者の曰く、「何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなむ上は〔唐の狗は狆で、涙を絶えず湛へて居るが、此の僧も自ら説經に感激して涙を流して居る點が狆に似て居たのである〕。」といひたりしに、あはれもさめてをかしかりけり。さる導師のほめやうやはあるべき。また人に酒勸むるとて、「おのれまづたべて人に強ひ奉らむとするは、劒(けん)にて人を斬らむとするに似たる事なり。二方は刃つきたるものなれば、もたぐる時、まづ我が頚を斬るゆゑに〔兩方に刃のある刀で振り上げると自分の頭を斬るといふのである〕、人をばえ斬らぬなり。おのれまづ醉ひて臥しなば、人はよも召さじ。」と申しき。劒にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。



