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「博奕(ばくち)の負け極まりて、殘りなくうち入れむとせむに〔殘つて居る持物全體を賭けんとするに出遭つたなら〕、逢ひては打つべからず。立ち歸り〔逆に今まで負けた方が〕つゞけて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知るを、よき博奕といふなり。」と、あるもの申しき。
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改めて益なきことは、改めぬをよしとするなり。
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雅房大納言〔源雅房、定實の子〕は、才(ざえ)賢く善き人にて、大將にもなさばやと思しける〔院のお考へ〕頃、院〔後宇多院〕の近習なる人、「只今淺ましき事を見侍りつ。」と申されければ、「何事ぞ。」と問はせ給ひけるに、「雅房卿鷹に飼はむとて、生きたる犬の足を切り侍りつるを、中垣〔家と家とのしきりの垣〕の穴より見侍りつ。」と申されけるに、うとましく〔いとはしく〕、にくくおぼしめして、日ごろの御氣色もたがひ、昇進もしたまはざりけり。さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど〔意外だが〕、犬の足はあとなき事なり。虚言は不便(ふびん)〔不都合〕なれども、かゝる事を聞かせ給ひて、にくませ給ひける君の御心は、いと尊きことなり。大かた生けるものを殺し、痛め、鬭はしめて遊び樂しまむ人は、畜生殘害〔鳥獸が互にそこなひ食ひ合ふこと〕の類(たぐひ)なり。萬の鳥獸、小さき蟲までも、心をとめてありさまを見るに、子をおもひ親をなつかしくし、夫婦を伴ひ、妬み、怒り、慾おほく、身を愛し、命を惜しめる事、偏に愚癡なるゆゑに、人よりも勝りて甚だし。かれに苦しみを與へ、命を奪はむ事、いかでか痛ましからざらむ。すべて一切の有情〔生物〕を見て慈悲の心なからむは、人倫にあらず。
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顔囘〔顔淵。孔子の門弟〕は、志人に勞を施さじ〔論語公冶長篇に「顔淵曰願無レ伐レ善、無レ施レ勞。」〕となり。すべて人を苦しめ、物を虐(しへた)ぐる事、賎しき民の志をも奪ふべからず。又幼き子を賺(すか)し嚇(おど)し、言ひ辱しめて興ずることあり。大人しき人〔大人〕は、まことならねば事にもあらず思へど、幼き心には、身にしみて恐ろしく、恥しく、あさましき思ひ、誠に切なるべし。これを惱して興ずる事、慈悲の心にあらず。大人しき人の、喜び怒り哀れび樂しぶも、皆虚妄(こまう)なれども、誰か實有(じつう)の相〔實在せる如く見ゆる現象〕に著(ぢゃく)せざる。身を破るよりも、心を痛ましむるは、人を害(そこな)ふ事なほ甚だし。病を受くる事も、多くは心より受く。外より來る病は少なし。藥を飮みて汗を求むるには、驗なき事あれども、一旦恥ぢ恐るゝことあれば、かならず汗を流す〔文選稽康(*ママ)の養生論に「夫服レ藥求レ汗、或有レ弗レ獲、而愧情一集、渙然流離。」〕は、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額を書きて、白頭の人となりし例〔三國志に「魏明帝立2凌雲觀1、誤先釘レ榜、乃以レ籠盛2辛誕1、轆轤引上書レ之、去レ地二十五丈、既下、鬚髪皓然。〕なきにあらず。
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物に爭はず〔論語に「君子無レ所レ爭。」〕、己を枉げて人に從ひ、我が身を後にして、人を先にするには如かず。萬のあそびにも、勝負を好む人は、勝ちて興あらむ爲なり。己が藝の勝りたる事をよろこぶ。されば負けて興なく覺ゆべきこと、また知られたり。我負けて人を歡ばしめむと思はば、さらに遊びの興なかるべし。人に本意なく思はせて、わが心を慰めむこと、徳に背けり。むつましき中に戲(たはぶ)るゝも、人をはかり欺きて、おのれが智の勝りたることを興とす。これまた禮にあらず。さればはじめ興宴より起りて、長き恨みを結ぶ類おほし。これ皆あらそひを好む失なり。人に勝らむことを思はば、たゞ學問して、その智を人に勝らむと思ふべし。道を學ぶとならば、善に誇らず、ともがら〔同輩〕に爭ふべからずといふ事を知るべきゆゑなり。大きなる職をも辭し、利をも捨つるは、たゞ學問の力なり。



