徒然草: 111-115

111
「圍棊(ゐご)雙六このみてあかし暮す人は、四重〔殺生、偸盜、邪淫、妄語〕五逆〔殺レ父、殺レ母、殺2阿羅漢1、破2和合僧1、出2佛身血1〕にもまされる惡事とぞ思ふ。」とある聖の申ししこと、耳にとゞまりて、いみじくおぼえ侍る。
112
明日は遠國(ゑんごく)へ赴くべしと聞かむ人に、心しづかになすべからむわざをば、人いひかけてむや。俄の大事をも營み、切(せち)に歎くこともある人は、他の事を聞き入れず、人のうれへよろこびをも問はず。問はずとてなどやと恨むる人もなし。されば年もやうたけ、病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらむ人、亦これに同じかるべし。人間(にんげん)の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の默し難きに從ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は雜事の小節にさへられて、空しく暮れなむ。日暮れ道遠し〔唐書白居易傳に「日暮而途遠、吾生已に蹉跎」〕、吾が生(しゃう)既に蹉跎(さだ-ママ)たり、諸縁を放下(ほうげ)すべき〔世間の俗關係をひきはなし捨つべき〕時なり。信をも守らじ、禮儀をも思はじ。この心を持たざらむ人は、もの狂ひともいへ、現なし、情なしとも思へ、譏るとも苦しまじ、譽むとも聞きいれじ。
113
四十(よそぢ)にも餘りぬる人の、色めきたる方〔好色らしく見える人〕、自ら忍びてあらむは如何はせむ〔それは如何しよう、詮方がない〕、言にうち出でて、男女(をとこをんな)のこと、人の上をもいひ戲(たは)るゝこそ、似げなく見ぐるしけれ。大かた聞きにくく見ぐるしき事、老人(おいびと)の若き人にまじはりて興あらむと物いひ居たる、數ならぬ身にて、世のおぼえある人を隔てなきさまにいひたる、貧しきところに酒宴このみ、客人(まらうど)に饗應せむときらめきたる。
114
今出川のおほい殿〔菊亭兼季、即ち菊亭の大臣〕、嵯峨へおはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、齋王丸御(おん)牛を追ひたりければ、足掻〔前足で地をかく事〕の水前板〔車の前に横たへてある板〕までさゝとかゝりけるを、爲則〔お供をした人の名、姓不詳〕御(み)車の後(しり)に候(さぶら)ひけるが、「希有の童(わらは)かな。斯る所にて御牛をば追ふものか。」といひたりければ、おほい殿、御(おん)氣色あしくなりて、「おのれ車やらむこと、齋王丸に勝りてえ知らじ。希有の男なり。」とて御車に頭をうちあてられにけり。この高名の齋王丸は、太秦殿〔藤原信清、信隆の子〕の男、料の御牛飼〔天皇の御召料たる牛を飼ふ者〕ぞかし。この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人は膝幸(ひざさち)、一人は㹀槌(ことつち)、一人は胞腹(はうはら)、一人は乙牛(おとうし)〔皆牛に縁ある用語らしいが不明〕とつけられけり。
115
宿河原〔攝津と云ふ説と武藏と云ふ説がある〕といふ所にて、ぼろ〔梵論、虚無僧〕おほく集りて、九品の念佛〔九度調子を變へる念佛〕を申しけるに、外より入りくるぼろの、「もしこの中(うち)に、いろをし坊と申すぼろやおはします。」と尋ねければ、その中より、「いろをしこゝに候。かく宣ふは誰(た)ぞ。」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。おのれが師なにがしと申す人、東國にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、うらみ申さばやとおもひて、尋ね申すなり。」といふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事はべりき。こゝにて對面(たいめん)したてまつらば、道場をけがし侍るべし。前の河原へまゐりあはむ。あなかしこ。わきざしたち、いづ方をも見つぎ給ふな。數多のわづらひにならば、佛事のさまたげに侍るべし。」といひ定めて、二人河原に出であひて、心ゆくばかり〔思ふ存分〕に貫きあひて、共に死にけり。ぼろといふものは、昔はなかりけるにや。近き世に、梵論字(ぼろんじ)、梵字、漢字などいひける者、そのはじめなりけるとかや。世を捨てたるに似て、我執ふかく、佛道を願ふに似て、鬭諍(とうじゃう)を事とす。放逸無慚のありさまなれども、死を輕くして少しもなづまざる〔拘泥執著しない〕方のいさぎよく覺えて、人の語りしまゝに書きつけ侍るなり。