徒然草: 106-110

106
高野の證空上人〔數人あるので不明〕京へ上りけるに、細道にて馬に乘りたる女の行きあひたりけるが、口引きける男あしく引きて、聖の馬を堀へ落してけり。聖、いと腹あしく咎めて、「こは希有の狼藉かな。四部の弟子〔四衆とも云ふ、釋迦の弟子の四種〕はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞〔俗のまゝなる男の佛弟子〕は劣り、優婆塞より優婆夷〔俗のまゝの女の佛弟子〕は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀に蹴入れさする、未曾有の惡行なり。」といはれければ、口引きの男、「いかに仰せらるゝやらむ、えこそ聞き知らね。」といふに、上人なほいきまきて、「何といふぞ。非修(ひしゅ)非學の男(をのこ)。」とあらゝかに言ひて、きはまりなき放言しつと思ひける氣色にて、馬引きかへして遁げられにけり。たふとかりける諍論(いさかひ)なるべし。
107
女の物いひかけたる返り事、とりあへずよき程にする男は、有りがたきものぞとて、龜山院の御時、しれたる女房ども、若き男達(をのこだち)の參らるゝ毎に、「時鳥や聞き給へる。」と問ひて試みられけるに、某の大納言とかやは、「數ならぬ身〔人數に入らぬ賎しい身〕はえ聞き候はず。」と答へられけり。堀河内大臣殿〔源具守、岩倉具實の子〕は、「岩倉〔山城愛宕郡岩倉〕にて聞きて候ひしやらむ。」とおほせられけるを、「これは難なし。數ならぬ身むつかし〔こゝでは、やかましい(大仰の意)と解く所だらう〕。」など定めあはれけり。總て男(をのこ)をば、女に笑はれぬ樣におほしたつべしとぞ、淨土寺の前關白殿〔藤原師教、忠教の子〕は、幼くて安喜門院〔後白河帝の女御、藤原有子、公房の女〕のよく教へまゐらせさせ給ひける故に、御詞(おほんことば)などのよきぞと人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿〔藤原實雄〕は、「怪しの下女(げぢょ)の見奉るも、いと恥しく心づかひせらるゝ。」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣紋も冠もいかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。かく人に恥ぢらるゝ女、いかばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。人我(にんが)の相〔利己的な、人と我とを區別する姿〕ふかく、貪欲甚だしく、物の理を知らず、たゞ迷ひの方に心も早くうつり、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時はいはず、用意あるかと見れば、又あさましき事まで問はずがたりにいひ出す。深くたばかり飾れる事は、男(をのこ)の智慧にも優りたるかと思へば、その事あとより顯はるゝを知らず。質朴(すなほ)ならずして拙きものは女なり。その心に隨ひてよく思はれむことは、心うかるべし。されば何かは女の恥かしからむ。もし賢女あらば、それも物うとく〔近づき難く〕、すさまじかりなむ。たゞ迷ひをあるじとしてかれに隨ふ時、やさしくもおもしろくも覺ゆべきことなり。
108
寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人の爲にいはば、一錢輕しと雖も、これを累ぬれば貧しき人を富める人となす。されば商人(あきびと)の一錢を惜しむ心切なり。刹那覺えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期(ご)忽ちに到る。されば道人〔智度論に「得道者名爲2道人1、餘出家者未得道者亦名2道人1」、佛道に志す人〕は、遠く日月を惜しむべからず、只今の一念空しく過ぐることを惜しむべし。もし人來りて、わが命明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらむに、今日の暮るゝ間、何事をか頼み、何事をか營まむ。我等が生ける今日の日、何ぞその時節に異ならむ。一日の中に、飮食(おんじき)、便利〔大小便〕、睡眠、言語(ごんご)、行歩(ぎゃうぶ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その餘りの暇、いくばくならぬうちに、無益(むやく)の事をなし、無益の事をいひ、無益の事を思惟(しゆゐ)して、時を移すのみならず、日を消(せう)し月をわたりて、一生をおくる、最も愚かなり。謝靈運〔支那晉代の文學者〕は法華の筆受〔法華經の飜譯者(事實では涅槃經の譯者であつたと云ふ。)〕なりしかども、心常に風雲の思ひ〔自然を愛すること〕を觀ぜしかば、惠遠(ゑをん)〔支那廬山東林寺の僧、東晉の人、釋道安の弟子〕白蓮の交はり〔惠遠を中心として出來た佛教徒の團體、白蓮社〕をゆるさざりき。しばらくもこれなき時は死人におなじ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まむ人は止み、修(しう)せむ人は修せよとなり。
109
高名の木のぼり〔有名な木登り、木登りの名人〕といひし男(をのこ)、人を掟てて〔命令して〕、高き木にのぼせて梢をきらせしに、いと危く見えしほどはいふこともなくて、おるゝ時に、軒だけばかりになりて、「あやまちすな。心しておりよ。」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るゝ(*ママ)ともおりなむ。如何にかくいふぞ。」と申し侍りしかば、「その事に候。目くるめき枝危きほどは、おのれがおそれ侍れば申さず。あやまちは安き所になりて、必ず仕ることに候。」といふ。あやしき下臈〔賎しき、身分低い者〕なれども、聖人のいましめにかなへり。鞠もかたき所〔蹴にくい所〕を蹴出して後、やすくおもへば、必ずおつと侍るやらむ。
110
雙六(すぐろく)〔黑白十二の駒、盤の目は十二づつ左右にある、賽をふつて早く先方へ駒全體が行き著いた方が勝ち〕の上手といひし人に、その術(てだて)を問ひ侍りしかば、「勝たむとうつべからず、負けじとうつべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手をつかはずして、一目なりとも遲く負くべき手につくべし。」といふ。道を知れるをしへ、身を修め國を保たむ道もまたしかなり。