11
神無月(かみなづき)〔十月〕の頃、栗栖野〔山城國宇治郡醍醐附近〕といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遙かなる苔の細道をふみわけて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉にうづもるゝ筧の雫ならでは、つゆおとなふものなし〔筧の雫の露と少しもの意をかけた〕。閼伽棚〔閼伽は梵語、水の義、佛に手向ける水を供へる器を置く棚〕に、菊紅葉など折りちらしたる、さすがに住む人のあればなるべし。かくても在られけるよと、あはれに見る程に、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりを嚴しく圍ひたりしこそ、少しことさめ〔興醒め〕て、この木なからましかばと覺えしか。
12
同じ心ならむ人と、しめやかに物語して、をかしき事も世のはかなき事〔世間のつまらぬ些事〕も、うらなく〔腹藏なく〕いひ慰まむこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらむと〔少しでも調子の合はぬ事がないやうにと〕向ひ居たらむは、ひとりある心地やせむ。互にいはむほどのことをば、げにと聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらむ人こそ、「我は然(さ)やは思ふ。」など爭ひにくみ、「さるからさぞ〔さうだからさうだ〕。」ともうち語らはば、つれ〴〵慰まめと思へど、げには少しかこつかたも、我とひとしからざらむ人は、大かたのよしなしごといはむ程こそあらめ、まめやかの心の友には遙かにへだたる所のありぬべきぞわびしきや。
13
ひとり燈火のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなれ。文は文選〔支那梁武帝の子昭明太子の編した詩文集、三十卷〕のあはれなる卷々、白氏文集〔唐白樂天の詩文集〕、老子(らうじ)のことば、南華の篇〔莊周の著はしたる書名、所謂莊子〕。この國の博士どもの書けるものも、いにしへのは、あはれなる事多かり。
14
和歌こそなほをかしきものなれ。あやしの賤(しづ)山がつの所作(しわざ)も、いひ出づれば面白く、恐ろしき猪も、臥猪の床〔猪は枯草を集めて寢床とする事が傳へられる〕といへばやさしくなりぬ。この頃の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、言葉の外に哀れにけしき覺ゆるはなし。貫之が、「絲による物ならなくに。」〔絲によるものならなくに別路の心細くもおもほゆるかな(古今集)〕といへるは、古今集の中(うち)の歌屑とかやいひ傳へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、すがたことば、この類(たぐひ)のみ多し。この歌に限りて、かくいひ立てられたるも知りがたし。源氏物語には、「ものとはなしに。」〔總角の卷に前の歌をかく改めて出してある。〕とぞ書ける。新古今には、「のこる松さへ峯にさびしき。」〔冬の來て山もあらはに木の葉ふり殘る松さへ峯にさびしき。祝部成仲の歌〕といへる歌をぞいふなるは、誠に少しくだけたるすがたにもや見ゆらむ。されどこの歌も、衆議判(すぎはん)の時、よろしきよし沙汰ありて、後にもことさらに感じおほせ下されけるよし、家長〔源家長、時長の子〕が日記には書けり。歌の道のみいにしへに變らぬなどいふ事もあれど、いさや〔さあどうだかと打消す意〕、今もよみあへる、同じことば歌枕も、むかしの人のよめるは、更におなじものにあらず。やすくすなほにして、すがたも清げに、あはれも深く見ゆ、梁塵秘抄〔後白河帝の御編著、主として今樣を集めたもの〕の郢曲(えいきょく)〔當時のうたひ物の總稱〕のことばこそ、またあはれなる事はおほかめれ。むかしの人は、いかにいひ捨てたる言種(ことぐさ)も、皆いみじく聞ゆるにや。
15
いづくにもあれ、暫し旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。そのわたり、こゝかしこ見ありき、田舍びたる所、山里などは、いと目馴れぬことのみぞ多かる。都へたよりもとめて文やる。「その事かの事、便宜(びんぎ)にわするな。」などいひやるこそをかしけれ。さやうの所にてこそ、萬に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人も、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。寺社(てらやしろ)などに忍びてこもりたるもをかし。



