16
神樂こそなまめかしく面白けれ。大かた(*原文「大かに」)物の音には笛篳篥〔笛に似て竪に吹く雅樂の樂器〕、常に聞きたきは琵琶和琴〔やまと琴とも云ふ。六絃の琴〕。
17
山寺にかきこもりて、佛に仕うまつるこそ、つれ〴〵もなく、心の濁り〔心の欲情、煩惱〕もきよまる心地すれ。
18
人はおのれをつゞまやかにし、驕りを退けて財(たから)を有(も)たず、世を貪らざらむぞいみじかるべき。昔より賢き人の富めるは稀なり。唐土に許由(きょいう)〔帝堯時代の人、天下を讓らうと云はれ、穢らはしい事を聞いたと云ふので潁川で耳を洗つた。〕といひつる人は、更に身に隨へる貯へもなくて、水をも手してさゝげて飮みけるを見て、なりひさご〔瓢〕といふ物を、人の得させたりければ、ある時木の枝にかけたりければ、風に吹かれて鳴りけるを、かしがましとて捨てつ。また手にむすびてぞ水も飮みける。いかばかり心の中(うち)すゞしかりけむ。孫晨〔字は元公、家貧しくむしろを織つて暮らす、後栄達し京兆の功曹となる〕は冬の月に衾なくて、藁一束(つかね)ありけるを、夕にはこれに臥し、朝にはをさめけり。もろこしの人は、これをいみじと思へばこそ、しるしとゞめて世にも傳へけめ。これらの人〔日本の人を意味する〕は語りも傳ふべからず。
19
折節のうつり變るこそ、物毎に哀れなれ。物の哀れは秋こそまされと、人毎にいふめれど、それも然るものにて〔一應尤もな事で〕、今一きは心もうきたつものは、春の景色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え出づる頃より、やゝ春ふかく霞みわたりて、花もやう〳〵氣色だつほどこそあれ、をりしも雨風うちつゞきて、心あわたゞしく散りすぎぬ。青葉になりゆくまで、萬に唯心をのみぞなやます。花橘は名にこそおへれ〔花橘は昔を追懷せしむると云ふ聯想があつた。「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(在原業平)〕、なほ梅のにほひにぞ、いにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるゝ。山吹のきよげに、藤のおぼつかなき〔藤の花のなよ〳〵したのを心もとないと形容したのである〕樣したる、すべて思ひすて難きことおほし。
灌佛〔四月八日に行はるゝ佛生會、釋迦の誕生日でその像に香水を灌ぐ式がある。〕のころ、祭のころ〔陰暦四月中の酉の日にある賀茂の祭禮〕、若葉の梢すゞしげに繁りゆくほどこそ、世のあはれも人の戀しさもまされと、人のおほせられしこそ、實にさるものなれ。五月(さつき)、あやめ葺くころ〔五月の端午の節句に屋根軒に菖蒲をふく。〕、早苗とる〔稻の苗を田に移し植ゑる〕ころ、水鷄(くひな)のたゝく〔水鷄の啼聲は人が戸を叩く音に似て居るのでかく云ふ。〕など、心ぼそからぬかは。六月(みなづき)の頃あやしき家に、夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓またをかし。七夕祭る〔七月七日牽牛織女二星を祭り技藝の上達を祈る。〕こそなまめかしけれ。やう〳〵夜寒になるほど、鴈なきて來る頃、萩の下葉色づくほど、早稻田(わさだ)刈りほすなど、とり集めたることは秋のみぞおほかる。また野分の朝こそをかしけれ。いひつゞくれば、みな源氏物語、枕草紙などに事ふりにたれど、おなじ事また今更にいはじとにもあらず。おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かいやり捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。さて冬枯の景色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉のちりとゞまりて、霜いと白う置ける朝、遣水より煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる頃ぞ、またなくあはれなる。すさまじき物にして見る人もなき月の、寒けく澄める二十日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御佛名(おぶつみゃう)〔十二月十九日から三日間清凉殿で行はれる佛事〕、荷前(のさき)の使〔朝廷で諸國から奉つた貢の初穂を帝陵、外戚の墓へ獻上ある(*する)使、十二月十三日以後。〕たつなどぞ、あはれにやんごとなき。公事どもしげく、春のいそぎにとり重ねて、催し行はるゝ樣ぞいみじきや。追儺〔鬼やらひ、十二月晦日。〕より四方拜〔元旦、天皇(*が)宮中で天地四方を拜せられる儀式。〕につゞくこそおもしろけれ。晦日(つごもり)の夜いたう暗きに、松どもともして、夜半(よなか)すぐるまで、人の門叩き走りありきて、何事にかあらむ、こと〴〵しくのゝしりて、足を空にまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつる〔昔は十二月晦日にも魂祭をしたのである。〕わざは、このごろ都には無きを、東の方には猶することにてありしこそ、あはれなりしか。かくて明けゆく空のけしき、昨日に變りたりとは見えねど、ひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、また哀れなれ。
20
某(なにがし)とかやいひし世すて人の、この世のほだし〔自分をしばる絆、妻子とか財産とかをさす。〕もたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞ惜しき。」といひしこそ、まことにさも覺えぬべけれ。



