徒然草: 006-010

6
我が身のやんごとなからむにも、まして數ならざらむにも、子といふもの無くてありなむ。前中書王〔中書は中務卿の唐の官名、兼明親王、醍醐帝の皇子〕、九條太政大臣〔藤原伊通、宗通の子〕、花園左大臣〔源有仁、輔仁親王の子〕、皆族(ぞう)絶えむ事を願ひ給へり。染殿大臣〔藤原良房、冬嗣の子〕も子孫おはせぬぞよく侍る。末の後れ給へる〔子孫の劣れる〕は、わろき事なりとぞ、世繼の翁の物語(*大鏡)にはいへる。聖徳太子の御(み)墓を、かねて築(つ)かせ給ひける時も、「こゝをきれ、かしこを斷て。子孫あらせじと思ふなり。」と侍りけるとかや。
7
あだし野〔山城愛宕山の麓にある野〕の露消ゆる時なく、鳥部山〔山城愛宕郡清水寺附近の墓地〕の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに物の哀れもなからむ。世は定めなきこそいみじけれ。命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち〔淮南子に「蜉蝣朝生而夕死、而盡2其樂1。」〕、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず惜しとおもはば、千年(ちとせ)を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせむ。命長ければ恥おほし〔莊子に「壽則多辱」〕。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なむこそ、目安かるべけれ。そのほど過ぎぬれば、かたちを愧づる心もなく、人にいでまじらはむ事を思ひ、夕(ゆふべ)の日に子孫を愛し、榮行(さかゆ)く末を見むまでの命をあらまし〔豫想する、豫期する〕、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなり行くなむあさましき。
8
世の人の心を惑はすこと色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。匂ひなどは假のものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ〔何ともいはれぬ〕匂ひには、必ず心ときめきする〔心のをどる〕ものなり。久米の仙人(やまびと)〔和泉國葛上郡の人〕の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通を失ひけむは、まことに手足膚(はだへ)などのきよらに、肥え膏づきたらむは、外の色ならねばさもあらむかし。
9
女は髪のめでたからむこそ、人のめだつべかめれ。人の程〔人柄〕、心ばへなどは、物うち言ひたるけはひにこそ、物ごしにも知らるれ。事に觸れてうちあるさま〔ただ一寸した樣子〕にも、人の心を惑はし、すべて女のうちとけたる、いもねず〔女は氣を許して熟睡もせず。たしなみが深い故である。〕、身を惜しとも思ひたらず、堪ふべくもあらぬ業にもよく堪へ忍ぶは、たゞ色を思ふがゆゑなり。まことに愛著(あいぢゃく)の道、その根深く源遠し。六塵(ぢん)〔六つの心をけがす刺激、色聲香味觸法(意)の事〕の樂欲(げうよく)〔心を樂しましむる欲〕多しといへども、皆厭離(おんり)しつべし。その中に、たゞかの惑ひ〔色欲〕のひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、變る所なしとぞ見ゆる。されば女の髪筋を縒れる綱には、大象(だいざう)もよくつながれ〔大威徳陀羅尼經に「以2女人髪1爲レ作2綱維1香象能繋況丈夫輩。」〕、女のはける足駄にて造れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞいひ傳へ侍る。自ら戒めて、恐るべく愼むべきはこの惑ひなり。
10
家居のつきしく〔似あはしく〕あらまほしきこそ、假の宿りとは思へど、興あるものなれ。よき人の長閑に住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一際しみと見ゆるぞかし。今めかしくきらゝかならねど、木立ものふりて、わざとならぬ庭の草も心ある樣に、簀子〔縁側〕透垣〔竹をすかして編んだ垣〕のたよりをかしく〔作り工合に趣あつて〕、うちある調度も、むかし覺えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。多くの工匠(たくみ)の、心を盡して磨きたて、唐の日本(やまと)の、珍しくえならぬ調度ども竝べおき、前栽〔庭〕の草木まで、心のまゝならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは存(ながら)へ住むべき、また時の間の煙ともなりなむとぞ、うち見るよりも思はるゝ。大かたは、家居にこそ事ざまは推しはからるれ。後徳大寺の大臣〔藤原實定。公能の子〕の、寢殿〔貴族の邸宅の中心にして主人の住む建物〕に鳶ゐさせじとて繩を張られたりけるを、西行が見て、「鳶の居たらむ何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ。」とて、その後は參らざりけると聞き侍るに、綾小路の宮〔龜山帝の皇子、性惠法親王〕のおはします小坂殿の棟に、いつぞや繩を引かれたりしかば、彼のためし思ひ出でられ侍りしに、「まことや、烏のむれゐて池の蛙をとりければ、御覽じ悲しませ給ひてなむ。」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそとおぼえしか。後徳大寺にも、いかなるゆゑか侍りけむ。