徒然草: 191-195

191
夜に入りて物のはえ〔物の光彩〕無しといふ人、いと口惜し。萬の物のきら、飾り、色ふし〔色あひ〕も、夜のみこそめでたけれ。晝は事そぎ〔省畧する〕、およすげたる(*ママ)〔ませた、じみな人目につかぬ〕姿にてもありなむ。夜はきらゝかに花やかなる裝束(さうぞく)いとよし。人のけしきも、夜の火影(ほかげ)ぞよきはよく〔よきものはいよよく〕、物いひたる聲も、暗くて聞きたる、用意ある、心憎し。匂ひも物の音も、たゞ夜ぞひときはめでたき。さして異なる事なき夜、うち更けて參れる人の、清げなる樣したる、いとよし。若きどち心とどめて見る人は、時をも分かぬものなれば、殊にうちとけぬべき折節ぞ、褻晴れなく〔褻と晴となく、ふだん著と晴著との區別なく〕引きつくろはまほしき。よき男(をのこ)の、日くれてゆするし〔泔し、米汁にて髪を洗ふ事、こゝでは髪を洗ひ梳り〕、女も夜更くる程に、すべり〔退出し〕つゝ、鏡とりて顔などつくろひ出づるこそをかしけれ。
192
神佛(かみほとけ)にも、人の詣でぬ日、夜まゐりたる、よし。
193
くらき人〔闇愚者〕の、人をはかりて〔忖度して、推量して〕、その智を知れりと思はむ、更に當るべからず。拙き人の、棊うつことばかりに敏(さと)くたくみなるは、賢き人のこの藝におろかなるを見て、おのれが智に及ばずと定めて、萬の道のたくみ、わが道を人の知らざるを見て、おのれ勝れたりと思はむこと、大きなるあやまりなるべし。文字(もんじ)の法師、暗證(あんじょう)の禪師〔學問を主とする法師、即ち教相を習うて實際的の坐禪を知らぬ僧と、坐禪工夫を主として、教理の研究の足らぬ僧と〕、互(たがひ)にはかりて、おのれに如かずと思へる、共にあたらず。己が境界にあらざるものをば、爭ふべからず、是非すべからず。
194
達人〔道理に通達する人、賢達の人〕の人を見る眼(まなこ)は、少しも誤る處あるべからず。たとへば、ある人の、世に虚言を構へ出して、人をはかることあらむに、素直に眞と思ひて、いふ儘にはからるゝ人あり。あまりに深く信をおこして、なほ煩はしく虚言を心得添ふる人あり。また何としも思はで、心をつけぬ人あり。又いさゝかおぼつかなく覺えて、たのむにもあらずたのまずもあらで、案じ居たる人あり。又まことしくは覺えねども、人のいふことなれば、さもあらむとて止みぬる人もあり。又さまに推し心得たるよしして、かしこげに打ちうなづき、ほゝゑみて居たれど、つや知らぬ人あり。また推し出して、あはれさるめりと思ひながら、なほ誤りもこそあれと怪しむ人あり。又異なるやうも無かりけりと、手を打ちて笑ふ人あり。また心得たれども、知れりともいはず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じ樣(やう)にて過ぐる人あり。またこの虚言の本意(ほんい)を、初めより心得て、すこしも欺かず、構へいだしたる人とおなじ心になりて、力をあはする人あり。愚者の中のたはぶれだに、知りたる人の前にては、このさまの得たる所〔特質〕、詞にても顔にても、かくれなく知られぬべし。ましてあきらかならむ人の、惑へるわれらを見むこと、掌(たなごゝろ)の上のものを見むがごとし。たゞしかやうのおしはかりにて、佛法までをなずらへ言ふべきにはあらず。
195
ある人、久我畷(こがなはて)〔京都の南、鳥羽の西、桂川の西岸から山崎へ至る眞直ぐな道〕を通りけるに、小袖〔下著〕に大口〔大口袴、束帶の時表袴の下に著る裾の口の大きくあいてる(*ママ)袴〕きたる人、木造(きづくり)の地藏を田の中の水におしひたして、ねんごろに洗ひけり。心得がたく見るほどに、狩衣の男二人三人出で來て、「こゝにおはしましけり。」とて、この人を具して往にけり。久我内大臣殿〔通基、通忠の子〕にてぞおはしける。尋常(よのつね)におはしましける時は〔平常あたりまへの時は。即ち今精神に發作的異常のある事をほのめかしてある〕、神妙(しんべう)にやんごとなき人にておはしけり。