181
「降れ〳〵粉雪(こゆき)、たんばの粉雪といふ事、米搗き篩(ふる)ひたるに似たれば粉雪といふ。たまれ粉雪といふべきを、誤りて『たんばの』とは言ふなり。垣や木の股にとうたふべし。」と或ものしり申しき。昔よりいひけることにや。鳥羽院(とばのゐん)をさなくおはしまして、雪の降るにかく仰せられけるよし、讚岐典侍が日記〔堀河帝の女房の日記〕に書きたり。
182
四條大納言隆親卿〔隆衡の子〕、乾鮭〔干鮭〕といふものを供御(ぐご)に參らせられたりけるを、「かく怪しきもの參るやうあらじ。」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚まゐらぬことにてあらむにこそあれ。鮭の素干(しらぼし)なでふことかあらむ。鮎の素干はまゐらぬかは。」と申されけり。
183
人突く牛をば角を切り、人くふ馬をば耳を切りてそのしるしとす。しるしをつけずして人をやぶらせぬるは、主(ぬし)の科なり。人くふ犬をば養ひ飼ふべからず。これみな科あり、律の禁(いましめ)なり。
184
相模守時頼の母は、松下禪尼(まつしたのぜんに)とぞ申しける。守を入れ申さるゝことありけるに、煤けたるあかり障子の破ればかりを、禪尼手づから小刀して切りまはしつゝ張られければ、兄(せうと)の城介義景、その日の經營(けいめい)〔けいめい。世話役〕して候(さぶら)ひけるが、「たまはりて、なにがし男に張らせ候はむ。さやうの事に心得たるものに候。」と申されければ、「その男、尼が細工によも勝り侍らじ。」とてなほ一間づゝ張られけるを、義景、「皆を張りかへ候はむは、遙かにたやすく候べし。斑に候も見苦しくや。」と、重ねて申されければ、「尼も後はさわ〳〵と張りかへむと思へども、今日ばかりはわざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理(しゅり)して用ゐることぞと、若き人に見ならはせて、心づけむ爲なり。」と申されける、いと有り難かりけり。世を治むる道、儉約を本とす。女性(にょしゃう)なれども聖人の心に通へり。天下をたもつほどの人を子にて持たれける、誠にたゞ人にはあらざりけるとぞ。
185
城(じゃうの)陸奧守泰盛〔城は出羽秋田城、城介で陸奧守を兼ねた、義景の子、北條時宗の舅〕は雙なき馬乘なりけり。馬を引き出でさせけるに、足をそろへて閾(しきみ)をゆらりと超ゆるを見ては、「これは勇める馬なり。」とて鞍を置きかへ〔他の馬へ置きかへる〕させけり。また足を伸べて閾に蹴あてぬれば、「これは鈍くして過ちあるべし。」とて乘らざりけり。道を知らざらむ人、かばかり恐れなむや。



