徒然草: 186-190

186
吉田と申す馬乘(むまのり)の申し侍りしは、「馬毎にこはきものなり。人の力爭ふべからずと知るべし。乘るべき馬をばまづよく見て、強き所弱き所を知るべし。次に轡(くつわ)鞍の具に危きことやあると見て、心にかゝる事あらば、その馬を馳すべからず。この用意を忘れざるを馬乘とは申すなり、これ秘藏(ひざう)〔秘傳、秘訣〕のことなり。」と申しき。
187
萬の道の人、たとひ不堪〔堪能ならぬこと、下手〕なりといへども、堪能〔上手〕の非家(ひか)の人〔その道の專門外の人〕にならぶ時〔立ちならびて競技などする時〕、必ずまさることは、たゆみなく愼みて輕々(かろ)しくせぬと、偏に自由なると〔專門外の人の勝手がましいのと〕の等しからぬなり。藝能所作のみにあらず、大方の振舞、心づかひも、愚かにして謹めるは得の本なり、巧みにしてほしきまゝなるは失の本なり。
188
ある者、子を法師になして、「學問して因果の理〔佛教の一教義、善因に善果、惡因に惡果ある理〕をも知り、説經などして世渡るたづき〔方法手段〕ともせよ。」といひければ、教のまゝに説經師にならむ爲に、まづ馬に乘りならひけり。「輿、車もたぬ身の、導師〔佛事の時主裁(*ママ)する人、説經師もその一〕に請ぜられむ時、馬など迎へにおこせたらむに、桃尻にて落ちなむは心憂かるべし。」と思ひけり。次に、「佛事の後、酒など勸むることあらむに、法師のむげに能なきは、檀那〔梵語ダンナパテの畧轉、施主、寺の保護者〕すさまじく思ふべし。」とて、早歌(さうか)〔當時流行した小唄の類であらう。〕といふ事をならひけり。二つのわざやう境(さかひ)に入りければ、愈(いよ)よくしたく覺えて嗜みける程に、説經習ふべき暇(ひま)なくて年よりにけり。この法師のみにもあらず、世間の人なべてこの事あり。若きほどは諸事につけて、身をたて、大きなる道をも成し、能をもつき、學問をもせむと、行末久しくあらます事〔豫期する事〕ども、心にはかけながら、世をのどかに思ひてうち怠りつゝ、まづさしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日をおくれば、事毎になすことなくして身は老いぬ。つひにものの上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれどもとり返さるゝ齡ならねば、走りて坂をくだる輪の如くに衰へゆく。されば一生のうち、むねとあらまほしからむこと〔主として最も希望する事〕の中に、いづれか勝ると、よく思ひくらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひすてて、一事を勵むべし。一日の中(うち)一時のうちにも、數多のことの來らむ中(なか)に、すこしも益のまさらむことを營みて、その外をばうち捨てて、大事をいそぐべきなり。いづかたをも捨てじと心にとりもちては〔絶えず心に思つては、執著しては〕、一事も成るべからず。たとへば棊(ご)をうつ人、一手もいたづらにせず、人にさきだちて、小をすて大につくが如し。それにとりて、三つの石をすてて、十(とを)の石につくことは易し。十をすてて十一につくことは、かたし。一つなりとも勝らむかたへこそつくべきを、十までなりぬれば惜しく覺えて、多くまさらぬ石には換へにくし。これをも捨てず、かれをも取らむと思ふこゝろに、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。京に住む人、急ぎて東山〔京都の東方に連る諸山の總稱〕に用ありて既に行きつきたりとも、西山〔京都の西なる諸山の總稱〕に行きてその益まさるべきを思ひえたらば、門(かど)よりかへりて西山へゆくべきなり。「こゝまで來著(きつ)きぬれば、この事をばまづいひてむ、日をささぬ〔日を指定せぬ、いつと日限をきめぬ〕ことなれば、西山の事はかへりてまたこそ思ひたためと思ふ故に、一時の懈怠(けだい)すなはち一生の懈怠となる。これをおそるべし。一事を必ず成さむと思はば、他の事の破るゝをも痛むべからず。人のあざけりをも恥づべからず。萬事にかへずしては一(いつ)の大事成るべからず。人のあまたありける中にて、あるもの、「ますほの薄まそほの薄〔まは接頭語、そほは赭色、色の赤い穗のすゝき、ますほはまそほの轉訛で意味は同じだが、當時之を秘傳めかして區別したのである。〕などいふことあり。渡邊(わたのべ)のひじり〔攝津渡邊に住んだ聖僧、傳不詳〕、この事を傳へ知りたり。」と語りけるを、登蓮法師〔傳不詳、作歌許りは詞花集以下の勅撰集にある、此の話は鴨長明の無名抄に出た。〕その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑笠やある、貸したまへ。かの薄のことならひに、渡邊の聖のがり尋ねまからむ。」といひけるを、「あまりに物さわがし。雨やみてこそ。」と人のいひければ、「無下の事をも仰せらるゝものかな。人の命は雨の晴間を待つものかは、我も死に、聖もうせなば、尋ね聞きてむや。」とて、はしり出でて行きつゝ、習ひ侍りにけりと申し傳へたるこそ、ゆゝしくありがたう覺ゆれ。「敏(と)きときは則ち功あり〔論語に「敏則有レ功。」〕。」とぞ、論語といふ文にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁〔佛法の後世往生の因縁〕をぞ思ふべかりける。
189
今日はその事をなさむと思へど、あらぬ急ぎまづ出で來て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ〔頼みに思はなかつた〕人はきたり、頼みたる方のことはたがひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。煩はしかりつる事はことなくて、安かるべき事はいと心苦し。日々に過ぎゆくさま、かねて思ひつるに似ず。一年(とせ)のこともかくの如し。一生の間もまたしかなり。かねてのあらまし、皆違ひゆくかと思ふに、おのづから違はぬ事もあれば、いよものは定めがたし。不定と心得ぬるのみ、誠にて違はず。
190
妻(め)といふものこそ、男(をのこ)の持つまじきものなれ。「いつも獨り住みにて。」など聞くこそ心憎けれ。「たれがしが婿になりぬ。」とも、又、「いかなる女をとりすゑて〔娶つて家に置いて〕相住む。」など聞きつれば、無下に心劣りせらるゝわざなり。「異なることなき〔特長もない、平凡な〕女を、よしと思ひ定めてこそ、添ひ居たらめ。」と、賤しくもおし測られ、よき女ならば、「この男こそらうたくして〔可愛がつて〕、あが佛〔自分の本尊〕と守りゐたらめ。たとへば、さばかりにこそ。」と覺えぬべし。まして家の内を行ひをさめたる女、いと口惜し。子など出できて、かしづき〔大事にし〕愛したる、心憂し。男なくなりて後、尼になりて年よりたる有樣、亡きあとまで淺まし。いかなる女なりとも、明暮そひ見むには、いと心づきなく憎かりなむ。女のためも、半空(なかぞら)〔中途半端、どつちつかず〕にこそならめ。よそながら時々通ひ住まむこそ、年月へても絶えぬなからひともならめ。あからさまに來て、泊り居(ゐ)などせむは、めづらしかりぬべし。