徒然草: 161-165

161
花の盛りは、冬至〔日の最も短い時、通常十二月二十二日頃〕より百五十日とも、時正(じしゃう)〔春の彼岸の中日、晝夜平分の時〕の後七日ともいへど、立春〔冬から春になる日、陰暦正月の始め通常二月三四日〕より七十五日、おほやう違はず。
162
遍昭寺〔嵯峨廣澤にあつた寺〕の承仕(じょうじ)法師〔寺の事觸れ法事の雜役をする役〕、池の鳥を日ごろ飼ひつけて、堂の内まで餌をまきて、戸ひとつをあけたれば、數も知らず入りこもりける後、おのれも入りて、立て篭めて捕へつつ殺しけるよそほひ、おどろしく聞えけるを、草刈る童聞きて人に告げければ、村の男ども、おこりて入りて見るに、大鴈(おほがん)どもふためきあへる中に、法師まじりて、うち伏せねぢ殺しければ、この法師を捕へて、所より使廳(しちゃう)〔檢非違使廳〕へ出したりけり。殺すところの鳥を頚にかけさせて、禁獄せられけり。基俊大納言別當〔同上(*検非違使庁)の長官〕の時になむ侍りける。
163
太衝(たいしょう)〔九月の異名〕の太の字、點打つ打たずといふこと、陰陽のともがら相論のことありけり。もりちか入道〔傳不詳〕申し侍りしは、「吉平〔安倍晴明の子、主計頭陰陽博士〕が自筆の占文(うらぶみ)の裏に書かれたる御記、近衞關白殿にあり。點うちたるを書きたり。」と申しき。
164
世の人相逢ふ時、しばらくも默止することなし、必ず言葉あり。そのことを聞くに、おほくは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために失多く得少し。これをかたる時、互の心に、無益のことなりといふことを知らず。
165
東の人〔東國の人、當時田舍者の代表の如く考へた〕の、都の人に交はり、都の人の、東に行きて身をたて、また本寺本山〔同じ意、諸末寺の長たる寺〕をはなれぬる顯密〔顯教と密教と。顯教は天台華嚴其の他の宗、密教は眞言宗〕の僧、すべてわが俗〔自分本來の風俗習慣〕にあらずして、人にまじはれる、見ぐるし。