徒然草: 151-155

151
ある人の曰く、年五十(いそぢ)になるまで上手に至らざらむ藝をば捨つべきなり。勵み習ふべき行末もなし。老人(おいびと)のことをば人もえ笑はず、衆に交はりたるも、あひなく見苦し。大方萬のしわざは止めて、暇あるこそ目安くあらまほしけれ。世俗の事にたづさはりて、生涯を暮すは下愚の人なり。ゆかしく覺えむことは學び聞くとも、その趣を知りなば、覺束なからずして〔少し位分つた程度に到達して〕止むべし。もとより望む事なくしてやまむは、第一のことなり。
152
西大寺(にしのおほでら)〔大和添上郡にある、奈良七大寺の一〕靜然(じゃうねん)上人〔傳不詳〕、腰かゞまり眉白く、誠に徳たけたる有樣にて、内裏へ參られたりけるを、西園寺内大臣殿〔實衡、公衡の子〕、「あな尊との氣色や。」とて信仰の氣色(きそく)ありければ、資朝卿〔藤原資朝。俊光の子、日野中納言と云ふ〕これを見て、「年のよりたるに候。」と申されけり。後日に、尨犬(むくいぬ)〔むく毛犬〕の淺ましく老いさらぼひて〔老衰し痩せ骨立ちて〕毛はげたるをひかせて、「この氣色尊く見えて候。」とて内府(だいふ)へ參らせられたりけるとぞ。
153
爲兼大納言入道〔藤原爲兼、定家三代の孫〕めしとられて、武士(ものゝふ)ども打ち圍みて、六波羅〔京都洛東鳥戸郷一帶の總稱〕へ率て行きければ、資朝卿、一條わたりにてこれを見て、「あな羨し。世にあらむおもひで、かくこそ有らまほしけれ。」とぞいはれける。
154
この人、東寺〔今京都下京九條、教王護國寺、朱雀門の東なれば此の名稱がある〕の門に雨宿りせられたりけるに、かたは者ども集り居たるが、手も足もねぢゆがみうち反(かへ)り〔身體のそり反り〕て、いづくも不具に異樣なるを見て、「とりに類なきくせ者なり、最も愛するに足れり。」と思ひて、まもり給ひけるほどに、やがてその興つきて、見にくくいぶせく覺えければ、「たゞすなほに珍しからぬものには如かず。」と思ひて、歸りて後、「この間植木を好みて、異樣に曲折あるを求めて目を喜ばしめつるは、かのかたは者を愛するなりけり。」と、興なく覺えければ、鉢に栽(う)ゑられける木ども、みなほり棄てられにけり。さもありぬべきことなり。
155
世に從はむ人は、まづ機嫌〔時機、都合〕を知るべし。序〔場合〕惡しき事は、人の耳にも逆ひ、心にも違ひて、その事成らず、さやうの折節を心得べきなり。但し病をうけ、子うみ、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、ついであしとて止む事なし。生住(しゃうぢう-ママ)(*しゃうぢゅう)異滅〔生は産、住は居所(*ママ)、異は病にかゝつて異形になること、滅は死亡〕の移り變るまことの大事は、たけき河の漲り流るゝが如し。しばしも滯らず、直ちに行ひゆくものなり。されば眞俗〔眞諦と俗諦と、眞理と俗世間、修道も俗事にても〕につけて、かならず果し遂げむとおもはむことは、機嫌をいふべからず。とかくの用意なく、足を踏みとゞむまじきなり。春暮れて後夏になり、夏果てて秋の來るにはあらず。春はやがて夏の氣を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は則ち寒くなり、十月(かんなづき)は小春〔陰暦十月頃一時春の如く暖くなる折を云ふ〕の天氣、草も青くなり、梅も莟みぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下より萌(きざ)しつはる〔衝張る、芽ぐみきざす〕に堪へずして落つるなり。迎ふる氣下に設けたる〔下で支度してゐる〕故に、待ち取る序〔それを待ち受ける順序〕、甚だ早し。生老(しゃうらう)病死の移り來る事、又これに過ぎたり。四季はなほ定まれる序あり。死期(しご)は序を待たず。死は前よりしも來らず、かねて後(うしろ)に迫れり。人みな死ある事を知りて、待つ事しかも急ならざるに、覺えずして來る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の滿つるが如し。