71
名を聞くより、やがて面影はおしはからるゝ心地するを、見る時は、又かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ。昔物語を聞きても、この頃の人の家のそこ程にてぞありけむと覺え、人も今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覺ゆるにや。またいかなる折ぞ、たゞ今人のいふことも、目に見ゆるものも、わが心のうちも、かゝる事のいつぞやありしがと覺えて、いつとは思ひいでねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。
72
賎しげなるもの。居たるあたりに調度の多き、硯に筆の多き、持佛堂〔佛像位牌など納めて置く所〕に佛の多き、前栽に石草木のおほき、家のうちに子孫(こうまご)のおほき、人にあひて詞のおほき、願文に作善〔自分のした善行、例へば佛像供養、經典書寫の事など書き列ねること〕おほく書き載せたる。おほくて見苦しからぬは、文車〔下に車をつけた持ち運びの容易くできる書棚〕の文、塵塚〔ごみため〕のちり。
73
世にかたり傳ふる事、誠は愛なきにや、多くは皆虚言(そらごと)なり。あるにも過ぎて、人はものをいひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、いひたき侭に語りなして、筆にも書き留めぬれば、やがて定りぬ。道々のものの上手のいみじき事など、かたくななる人〔頭の惡い理解のない人〕の、その道知らぬは、そゞろに神の如くにいへども、道知れる人は更に信も起さず。音にきくと見る時とは、何事も變るものなり。かつ顯はるゝ〔一方から顯はれる〕も顧みず、口に任せていひちらすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又我も實しからずは思ひながら、人のいひし侭に、鼻の程をごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げに〳〵しく、所々うちおぼめき〔わざと所々をあいまいにして〕、能く知らぬよしして、さりながら、つま〴〵合せて語る虚言は、恐ろしき事なり。わが爲面目(めんぼく)あるやうに言はれぬる虚言は、人いたくあらがはず、皆人の興ずる虚言は、一人さもなかりし物といはむも詮なくて、聞き居たる程に、證人にさへなされて、いとゞ定りぬべし。とにもかくにも虚言多き世なり。唯常にある、珍しからぬ事の侭に心えたらむ、よろづ違ふべからず。下ざまの人のものがたりは、耳驚くことのみあり。よき人はあやしき事を語らず。かくはいへど、佛神の奇特(きどく)、權者(ごんじゃ)〔神佛が衆生濟度のため此世にかりに出現せる者の意〕の傳記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは世俗の虚言を懇に信じたるも、をこがましく、「よもあらじ。」などいふも詮なければ、大方は眞しくあひしらひて、偏に信ぜず、また疑ひあざけるべからず。
74
蟻の如くに集りて、東西にいそぎ南北に走る。貴(たか)きあり、賎しきあり、老いたるあり、若きあり、行く所あり、歸る家あり、夕にいねて朝に起く。營む所何事ぞや。生を貪り利を求めてやむ時なし。身を養ひて何事をか待つ、期(ご)するところ〔必ず來るもの〕たゞ老(おい)と死とにあり。その來る事速かにして、念々の間〔一刹那一刹那とすぎゆく間〕に留まらず。これを待つ間、何の樂しみかあらむ。惑へるものはこれを恐れず。名利に溺れて、先途〔到著點、死して行く先〕の近きことを顧みねばなり。愚かなる人はまたこれをかなしぶ。常住〔永久不變〕ならむことを思ひて、變化(へんげ)の理を知らねばなり。
75
つれ〴〵わぶる〔徒然をこまる〕人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に從へば、心外(ほか)の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに隨ひて、さながら心にあらず。人に戲れ、物に爭ひ、一度はうらみ、一度はよろこぶ。そのこと定れることなし。分別妄(みだ)りに起りて、得失やむ時なし。まどひの上に醉へり、醉(ゑひ)の中(なか)に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて〔ぼける事〕忘れたること、人皆かくのごとし。いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑(しづか)にし、事に與らずして心を安くせむこそ、暫く樂しぶともいひつべけれ。「生活(しゃうくゎつ)、人事(にんじ)、技能、學問等の諸縁をやめよ。」とこそ、摩訶止觀〔天台大師の著書、十卷、妙法蓮華經觀心の義を述べたもの、三台三大部の一〕にもはべれ。



