51
龜山殿〔龜山帝讓位の後山莊を嵯峨龜山に建てられた、その御殿。〕の御池に、大井川の水をまかせられむとて、大井の土民に仰せて、水車(みづぐるま)を作らせられけり。多くの錢(あし)を賜ひて、數日(すじつ)に營み出してかけたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、徒らに立てりけり。さて宇治の里人を召してこしらへさせられければ、やすらかに結ひて〔樂々と作り上げて〕參らせたりけるが、思ふやうにめぐりて、水を汲み入るゝ事めでたかりけり。萬にその道を知れるものは、やんごとなきものなり。
52
仁和寺〔山城葛野郡花園村にある寺、眞言宗、俗に御室。〕に、ある法師、年よるまで石清水〔男山八幡宮〕を拜まざりければ、心憂く覺えて、ある時思ひたちて、たゞ一人かちより〔徒歩で〕詣でけり。極樂寺、高良(かうら)〔共に男山の麓にある末寺末社〕などを拜みて、かばかりと心得て歸りにけり。さて傍(かたへ)の人に逢ひて、「年ごろ思ひつる事果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊(たふと)くこそおはしけれ。そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかり〔見たい知りたいと思ふ〕しかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞいひける。すこしの事にも先達(せんだち)〔先輩、案内者〕はあらまほしきことなり。
53
これも仁和寺の法師、童の法師にならむとする名殘とて、各遊ぶことありけるに、醉ひて興に入るあまり、傍なる足鼎〔足の三本ある鼎〕をとりて頭にかづき〔かぶる〕たれば、つまるやうにするを、鼻をおしひらめて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、滿座興に入ること限りなし。しばし奏でて後、拔かむとするに、大かた拔かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせむと惑ひけり。とかくすれば、首のまはり缺けて血垂り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、うち割らむとすれど、たやすく割れず、響きて堪へがたかりければ、叶はで、すべき樣なくて、三足(さんぞく)なる角の上に帷子をうちかけて、手をひき杖をつかせて、京なる醫師(くすし)の許(がり)率て行きけるに、道すがら人の怪しみ見る事限りなし。醫師の許(もと)にさし入りて、むかひ居たりけむ有樣、さこそ異樣なりけめ。物をいふも、くゞもり聲〔含まれて不明瞭な言葉〕に響きて聞えず。かゝる事は書にも見えず、傳へたる教へもなしといへば、また仁和寺へかへりて、親しきもの、老いたる母など、枕上により居て泣き悲しめども、聞くらむとも覺えず。かゝる程に、或者のいふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらむ、たゞ力をたてて引き給へ。」とて、藁の蒂(しべ)〔穂の心(*ママ)〕をまはりにさし入れて、金を隔てて、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻かけうげ〔缺け穿たれ〕ながら、拔けにけり。からき命まうけて、久しく病み居たりけり。
54
御室〔仁和寺の事〕にいみじき兒のありけるを、いかで誘ひ出して遊ばむとたくむ法師どもありて、能あるあそび法師〔藝才があり人に興を添へ得る法師〕どもなど語らひ〔仲間にひき入れ〕て、風流の破籠(わりご)やうのもの〔中に隔てがあつて割つてある辨當の類〕、ねんごろに營み出でて、箱風情のものに認め入れて、雙(ならび)の岡〔御室にある丘陵〕の便りよき所〔都合のよい所〕にうづみおきて、紅葉ちらしかけなど、思ひよらぬさまにして、御所へまゐりて、兒をそゝのかし出でにけり。うれしく思ひて、こゝかしこ遊びめぐりて、ありつる〔例の、前に埋めた所を意味する。〕苔の筵に竝みゐて、「いたうこそ困じにたれ。あはれ紅葉を燒(た)かむ人〔白氏文集の「林間暖レ酒燒2紅葉1」の句意を採り、酒を暖めん人〕もがな。しるしあらむ僧たち、いのり試みられよ。」などいひしろひて、埋みつる木のもとに向きて、數珠(ずゝ)おしすり、印〔眞言宗の秘密法、指にて種々の形をして呪法とする。〕こと〴〵しく結びいでなどして、いらなく〔勿體らしく、大仰に〕ふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つや〳〵〔とんと〕物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされども無かりけり。埋(うづ)みけるを人の見おきて、御所へ參りたる間に盜めるなりけり。法師ども言の葉なくて、聞きにくくいさかひ腹だちて歸りにけり。あまりに興あらむとすることは、必ずあいなき〔面白味がない〕ものなり。
55
家のつくりやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き頃わろき住居(すまひ)は堪へがたきことなり。深き水は涼しげなし、淺くて流れたる、遙かに涼し。細かなるものを見るに、遣戸〔横に引いてあける戸〕は蔀の間〔格子のはまつた部屋〕よりもあかし。天井の高きは、冬寒く、燈くらし。造作〔家の建具類〕は用なき所をつくりたる、見るもおもしろく、よろづの用にも立ちてよし。」とぞ、人のさだめあひ侍りし。



