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五月(さつき)五日賀茂の競馬〔賀茂神社の境内で行はるる競馬〕を見侍りしに、車の前に雜人(ざふにん)〔下賤の輩〕たち隔てて見えざりしかば、各おりて埒〔馬場の柵〕の際によりたれど、殊に人多く立ちこみて、分け入りぬべき様もなし。かゝる折に、向ひなる楝(あふち)の木に、法師の登りて、木の股についゐて〔跪きゐて〕物見るあり。取りつきながら、いたう眠(ねぶ)りて、堕ちぬべき時に目を覺す事度々なり。これを見る人嘲りあさみて〔輕蔑し〕、「世のしれものかな。かく危(あやふ)き枝の上にて安き心ありて眠るらむよ。」といふに、わが心にふと思ひし儘に、「我等が生死(しゃうじ)の到來唯今にもやあらむ。これを忘れて物見て日を暮す、愚かなる事は猶まさりたるものを。」といひたれば、前なる人ども、「誠に然こそ候ひけれ。尤も愚かに候。」といひて、皆後を見返りて、「こゝへいらせ給へ。」とて、所をさりて呼び入れはべりにき。かほどの理、誰かは思ひよらざらむなれども、折からの思ひかけぬ心地して、胸にあたりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて物に感ずる事なきにあらず〔文選に「人非2木石1豈無レ感。」〕。
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唐橋の中將〔源雅清。參議中將〕といふ人の子に、行雅僧都〔僧官の名稱、僧正、僧都、律師。〕とて、教相〔真言宗で理論的學の(*問か)を教相と云ふ。〕の人の師する僧ありけり。氣(け)のあがる〔のぼせる〕病ありて、年のやう〳〵たくる〔年がだん〳〵ふける〕ほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さま〴〵につくろひけれど、煩はしくなりて、目眉額なども腫れまどひて、うち覆ひければ、物も見えず、二の舞の面〔安摩舞の次の舞に赤く恐ろしき面をかぶる、その面を云ふ。〕の樣に見えけるが、たゞ恐ろしく鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額の程鼻になりなどして、後は、坊の内の人にも見えず籠り居て、年久しくありて、猶煩はしくなりて死ににけり。かゝる病もある事にこそありけれ。
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春の暮つかた、のどやかに艷なる空に、賤しからぬ家の、奧深く木立ものふりて、庭に散りしをれたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子を皆下して、さびしげなるに、東にむきて妻戸のよきほどに開(あ)きたる、御簾のやぶれより見れば、かたち清げなる男(をのこ)の、年二十ばかりにて、うちとけたれど、心にくくのどやかなる樣して、机の上に書をくりひろげて見居たり。いかなる人なりけむ、たづね聞かまほし。
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怪しの竹の編戸の内より、いと若き男の、月影に色合定かならねど、つやゝかなる狩衣〔通常服、もとは狩に用ゐた。〕に濃き指貫〔裾の所を紐で括るやうになつて居る袴の一種。〕、いとゆゑづきたるさま〔由緒ありげな樣子〕にて、さゝやかなる童一人を具して、遙かなる田の中の細道を、稻葉の露にそぼち(*原文・頭注「そほぢ」)つゝ〔ぬれながら〕分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かむかた知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹きやみて、山の際に總門〔第一の門、正門〕のあるうちに入りぬ。榻〔車の轅を置く臺〕にたてたる車の見ゆるも、都よりは目とまる心地して、下人に問へば、「しか〴〵の宮のおはします頃にて、御佛事などさぶらふにや。」といふ。御堂の方に法師ども參りたり。夜寒の風にさそはれくる空薫物〔何處ともなく匂ふやうに焚いた香〕の匂ひも、身にしむ心地す。寢殿より御堂の廊にかよふ女房の、追風用意〔自分の通つたあとの風が匂ふ樣にした用意〕など、人目なき山里ともいはず心づかひしたり。心のまゝにしげれる秋の野らは、おきあまる露にうづもれて、蟲の音かごとがましく〔怨み言を云つて居るやうだ〕、遣水の音のどやかなり。都の空よりは、雲のゆききも早き心地して、月の晴れ曇ること定めがたし。
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公世の二位の兄〔從二位侍從藤原公世の兄〕に、良覺僧正と聞えしは極めて腹惡しき〔怒りつぽい〕人なりけり。坊の傍に大きなる榎ありければ、人、「榎の僧正」とぞいひける。この名然るべからずとて、かの木を切られにけり。その根のありければ、「切杭(きりくひ)の僧正」といひけり。愈腹立ちて、切杭を掘りすてたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池(ほりいけ)の僧正」とぞいひける。



