徒然草: 021-025

21
萬の事は、月見るにこそ慰むものなれ。ある人の、「月ばかり面白きものは有らじ。」といひしに、またひとり、「露こそあはれなれ。」と爭ひしこそをかしけれ。折にふれば何かはあはれならざらむ。月花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩に碎けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。「沅湘(げんしゃう)日夜東(ひンがし)に流れ去る、愁人の爲にとゞまること少時(しばらく)もせず。」〔戴叔倫の詩「沅湘日夜東流去、不下爲2愁人1住中少時上」〕といへる詩を見侍りしこそあはれなりしか。嵇康(けいかう)〔竹林七賢の一人、彼の文に「遊2山澤1觀2魚鳥1心甚樂レ之。」〕も、「山澤にあそびて魚鳥を見れば心樂しぶ。」といへり。人遠く水草(みぐさ)きよき所にさまよひ歩きたるばかり、心慰むことはあらじ。
22
何事も古き世のみぞ慕はしき。今樣は無下に卑しくこそなり行くめれ。かの木の道の匠のつくれる美しき器(うつはもの)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。文の詞などぞ、昔の反古(ほうご)どもはいみじき。たゞいふ詞も、口惜しうこそなりもて行くなれ。古は、「車もたげよ。」「火掲げよ。」とこそいひしを、今やうの人は、「もてあげよ。」「かきあげよ。」といふ。主殿寮〔宮内省内、供御輿輦の事及殿庭洒掃、燈燭庭燎(*ていれう-篝火)などを掌る。〕の「人數(にんず)だて〔松明(*を)持つ役に用意せよと命令する事〕。」といふべきを、「立明し〔松明(*原文は「立明」に注する。)〕白くせよ。」といひ、最勝講〔五月吉日清凉殿で最勝王經を講ぜしめられる儀式〕の御聽聞所(みちゃうもんどころ)なるをば、「御講(みかう)の廬(ろ)〔場所の義〕。」とこそいふべきを、「講廬。」といふ、口をしとぞ、古き人の仰せられし。
23
衰へたる末の世とはいへど、猶九重の神さびたる有樣こそ、世づかずめでたきものなれ。露臺〔宮中屋なき臺、舞などに用ゐる。〕、朝餉〔清凉殿内、帝の御朝食を召す所〕、何殿(でん)、何門などは、いみじとも聞ゆべし。怪しの所にもありぬべき小蔀、小板敷、高遣戸なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣に夜の設けせよ。」といふこそいみじけれ。夜(よン)の御殿(おとゞ)のをば、「掻燈(かいともし)疾うよ。」などいふ、まためでたし。上卿(しゃうけい)の、陣にて事行へる樣は更なり、諸司の下人どもの、したり顔になれたるもをかし。さばかり寒き終夜(よもすがら)、此處彼處に睡(ねぶ)り居たるこそをかしけれ。「内侍所の御(み)鈴の音は、めでたく優なるものなり。」とぞ、徳大寺の太政大臣は仰せられける。
24
齋宮〔天子即位毎に處女の皇族を伊勢大神宮奉仕に遣はさるゝその居所、或はその人。〕の野の宮〔齋宮の伊勢へ出發前齋戒のため居られる所、賀茂神社へもあつた。〕におはします有樣こそ、やさしく面白き事の限りとは覺えしか。經佛(きゃうほとけ)など忌みて、中子〔佛の忌詞〕、染紙(そめがみ)〔經文の忌詞〕などいふなるもをかし。すべて神の社こそ、捨て難くなまめかしきものなれや。ものふりたる森の景色もたゞならぬに、玉垣しわたして、榊に木綿(ゆふ)かけたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢、賀茂、春日、平野〔山城葛野郡平野神社〕、住吉、三輪〔大和三諸山三輪神社〕、貴船、吉田、大原野〔(*以下)皆山城愛宕郡〕、松尾(まつのを)、梅宮(うめのみや)。
25
飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時うつり事去り、樂しび悲しび行きかひて、花やかなりし邊(あたり)も、人すまぬ野らとなり、變らぬ住家(すみか)は人あらたまりぬ。桃李物いはねば〔「桃李不レ言春幾暮」(菅原時文(*文時、和漢朗詠集))〕、誰と共にか昔を語らむ。まして見ぬ古のやんごとなかりけむ跡のみぞいとはかなき。京極殿、法成寺(ほふじゃうじ)〔共に藤原道長の住みし所、後者はその晩年。〕など見るこそ、志留まり、事變じにける樣は哀れなれ。御堂殿〔藤原道長〕の作り磨かせ給ひて、莊園(しゃうゑん)多く寄せられ、我が御族(みぞう)のみ、御門の御後見、世のかためにて、行末までとおぼしおきし時、いかならむ世にも、かばかりあせ果てむとはおぼしてむ(*けむ)や。大門(だいもん)金堂など近くまでありしかど、正和のころ南門は燒けぬ。金堂はその後たふれ伏したるままにて、取りたつるわざもなし。無量壽院ばかりぞ、そのかたとて殘りたる。丈六の佛九體、いと尊くて竝びおはします。行成(ぎゃうぜい)大納言の額、兼行〔大和守藤原兼行、書の名手。〕が書ける扉、あざやかに見ゆるぞあはれなる。法花堂などもいまだ侍るめり。これも亦いつまでかあらむ。かばかりの名殘だになき所々は、おのづから礎ばかり殘るもあれど、さだかに知れる人もなし。されば萬に見ざらむ世までを思ひ掟てむこそ、はかなかるべけれ。