徒然草: 031-035

31
雪の面白う降りたりし朝、人の許(がり)いふべき事ありて、文をやるとて、雪のことは何ともいはざりし返り事に、「この雪いかゞ見ると、一筆のたまはせぬ程の、ひがしから〔ひがんで居る、趣を解せぬ〕む人の仰せらるゝ事、聞き入るべきかは、かへす口惜しき御心なり。」といひたりしこそ、をかしかりしか。今は亡き人なれば、かばかりの事も忘れがたし。
32
九月(ながつき)二十日の頃、ある人に誘はれ奉りて、明くるまで月見歩く事侍りしに、思し出づる所ありて、案内(あない)せさせて入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ〔たきものの匂ひ〕しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いと物あはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、猶ことざまの優に覺えて、物のかくれよりしばし見居たるに、妻戸〔兩方へあける戸〕を今少し〔客の開きし戸をもう少し〕おしあけて、月見るけしきなり。やがてかけ籠らましかば、口惜しからまし。あとまで見る人ありとは如何でか知らむ。かやうの事は、たゞ朝夕の心づかひによるべし。その人程なく亡せにけりと聞き侍りし。
33
今の内裏〔冷泉萬里小路の内裏、建武三年燒失後新造された内裏〕つくりいだされて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸の日近くなりけるに、玄輝門院〔伏見帝の母后、左大臣藤原實雄の女。〕御覽じて、「閑院殿〔御殿の名、藤原冬嗣の邸、後皇居となつた。〕の櫛形の穴〔壁に櫛形の穴をつけて通路としたもの〕は、まろく縁もなくてぞありし。」と仰せられける、いみじかりけり。これは葉(えふ)〔穴の縁を二重にする事〕の入りて、木にて縁をしたりければ、誤りにて直されにけり。
34
甲香(かひがう)〔香をたくに用ゐる器具の名〕は、ほら貝の樣(やう)なるが、小さくて、口の程の細長にして出でたる貝の蓋なり。武藏の國金澤といふ浦にありしを、所の者は「へなたり。」と申し侍るとぞいひし。
35
手の惡(わろ)き人の、憚らず文かきちらすはよし。見苦しとて人に書かするはうるさし。