201
退凡下乘〔凡人の出入を禁じ、貴人も車馬から下る、標札の代りに三つの卒塔婆〕の卒塔婆、外なるは下乘、内なるは退凡なり。
202
十月をかみなづき〔雷無月とか神嘗月とか諸説がある。〕といひて、神事に憚るべき由は、記したるものなし。本文(ほんもん)も見えず。たゞし、當月諸社の祭なきゆゑに、この名あるか。この月萬の神たち、太神宮へ集り給ふなどいふ説あれども、その本説なし。さる事ならば、伊勢には殊に祭月とすべきに、その例もなし。十月、諸社の行幸(ぎゃうかう)、その例も多し。但し多くは不吉の例なり。
203
敕勘(ちょくかん)の所に靫(ゆぎ)〔矢を入れる器〕かくる作法、今は絶えて知れる人なし。主上の御惱(ごなう)、大かた世の中のさわがしき時は、五條の天神〔京都五條南、西洞院の西、少彦名神〕に靫をかけらる。鞍馬に靫の明神といふも、靫かけられたりける神なり。看督長(かどのをさ)〔檢非違使廳附屬の官〕の負ひたる靫を、その家にかけられぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、封をつくることになりにけり。
204
犯人を笞(しもと)にて打つ時は、拷器(がうき)によせて結ひつくるなり。拷器のやうも、よする作法も今はわきまへ知れる人なしとぞ。
205
比叡山に、大師勸請(くゎんじゃう)の起請文〔慈惠大師の書かれた神佛の靈を迎へ請じての誓文〕といふ事は、慈惠(じゑ)僧正〔良源、近江淺井の人、後天台座主となる。〕書きはじめ給ひけるなり。起請文といふ事、法曹にはその沙汰なし。古の聖代、すべて起請文につきて行はるゝ政はなきを、近代このこと流布したるなり。また法令には、水火に穢れをたてず、入物(いれもの)にはけがれあるべし。



