徒然草: 146-150

146
明雲(めいうん)座主〔比叡山の座主明雲。源顯通の子。座主は延暦寺の長老の稱〕、相者(さうじゃ)〔人相見〕に逢ひ給ひて、「己(おのれ)若し兵仗の難〔所謂劒難、武器で死ぬ相〕やある。」と尋ねたまひければ、相人〔相者と同意〕、「實(まこと)にその相おはします。」と申す。「いかなる相ぞ。」と尋ね給ひければ、「傷害の恐れおはしますまじき御身にて、假にもかく思しよりて〔思ひついて〕尋ね給ふ。これ既にそのあやぶみの兆なり。」と申しけり。はたして矢にあたりてうせ給ひにけり。
147
灸治あまた所になりぬれば神事に穢れあり〔灸が多いと神のお祭などに穢れとなる事〕といふこと、近く人のいひ出せるなり、格式〔法令規則を書いた書〕等(など)にも見えずとぞ。
148
四十(よそぢ)以後の人、身に灸を加へて三里〔膝下外方の凹める所〕を燒かざれば上氣のことあり、必ず灸すべし。
149
鹿茸(ろくじょう)〔鹿の袋角〕を鼻にあてて嗅ぐべからず、ちひさき蟲ありて、鼻より入りて腦をはむといへり。
150
能をつかむとする人、「よくせざらむ程は、なまじひに人に知られじ、内々よく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ。」と常にいふめれど、かくいふ人、一藝もならひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、譏り笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず妄りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名をうることなり。天下の物の上手といへども、はじめは不堪のきこえもあり、無下の瑕瑾〔美玉の疵、轉じて一般の缺點〕もありき。されどもその人、道の掟正しく、これを重くして放埒〔馬を埒外に放つ如く、任意に遊び廻る意〕せざれば、世の博士にて、萬人の師となること、諸道かはるべからず。